第2章
佐倉寧々が振り返ると、佐倉桜の瞳に浮かぶ憎悪の色が目に入った。
「離せ！」
咄嗟に手を引こうとした彼女だったが、佐倉桜は体を後ろへ傾け、二人だけに聞こえる声量で一言吐き出した。
「こうなったなら、私が手に入れられないものは、あなたにも手に入れさせない！」
佐倉寧々の胸に不吉な予感が湧き上がった。次の瞬間、佐倉桜がためらいもなく飛び降りる姿が目に飛び込んできた！
反射的に佐倉桜を掴もうと飛びかかったが、一歩遅かった。指先が彼女の服の端をかすめただけで、佐倉桜が落ちていくのを見るしかなかった！
そして直後、怒りに震える男性の声が背後から響いた。
「佐倉寧々！」
振り向くと、藤原卓也が大股で駆けてくるところだった。
彼の表情は激怒に満ちていた。
「お前はそこまで残酷になったのか。桜はお腹に子供を宿しているんだぞ！」
佐倉寧々は一瞬固まり、それから理解して、思わず笑みを浮かべた。
「子供？あなたの？」
実際、この質問は必要なかった。藤原卓也の反応だけで推測できたからだ。
佐倉寧々はため息をつき、藤原卓也の手を振り払って顔を見上げた。
目の前の男性はきちんとしたスーツ姿で、長身で端正な体つきが際立っていた。彼の顔立ちは端正で深みがあり、非常にハンサムで気品があった。
しかし今は、額の青筋が浮き出て、薄い唇をきつく結び、怒りに満ちた表情で、充血した目で彼女を睨みつけていた。
否定できないことだが、佐倉寧々はかつて藤原卓也を愛していた。彼と一生を共にする夢も見ていた。
だが今、素晴らしかったはずの初恋は、こうして腐り果ててしまった。
「突き落としていない。彼女が自ら飛び降りたの」藤原卓也の冷たく沈んだ視線に対して、佐倉寧々はさらりと言った。
藤原卓也の胸が微かに震え、極度の怒りを表していた。
「俺が信じると思うのか？」
「ふん、信じようが信じまいが勝手よ」佐倉寧々は冷笑し、淡々とした口調で返した。
佐倉桜は手術室に運ばれ、丸二時間以上が経過してようやく医師が出てきた。
「患者さんは一命を取り留めました」
医師はため息をついた。
「ですが残念ながら、お子さんは助けられませんでした」
「なんだと？！」
藤原卓也は言葉を聞いて、信じられないという表情を浮かべた。
「そんなはずがない！」
彼は突然顔を上げ、佐倉寧々をじっと見つめ、目に抑えきれない怒りを浮かべた。
「こんな結果になって、満足か？！」
「言ってたんだろう、あの時のことは全て俺の過ちで、桜には関係ないと！復讐したいなら直接俺に向けるべきだろう。なぜ彼女の罪のない子供に手をかける？」
藤原卓也の口からまともな言葉が出ないことは予想していたが、佐倉寧々の心には冷たいものが広がっていくのを感じた。
彼女と藤原卓也の婚約は、藤原のお爺様が一手に取り決めたものだった。
当初、佐倉家に戻ったばかりの彼女は周囲の全てに馴染めず、佐倉の父と母は佐倉桜をなだめることに忙しく、彼女が戻ってきても最も愛する子は永遠に佐倉桜だけだと伝えていた。
そして佐倉寧々は、当然のように後回しにされた。
彼女の誕生日パーティーでさえ、佐倉桜が注目を集め、彼女は精巧で華やかなドレスを着て、佐倉の父と母に囲まれてケーキを切っていた。佐倉寧々は隅に忘れられ、遠くから眺めているだけだった。
そんな時、耳元で澄んだ少年の声が響いた。
「なんで一人なの？」
当時の藤原卓也は十五、六歳にすぎなかったが、すでに背が高く端正で、眉目秀麗だった。彼は彼女が佐倉家で冷遇されている身分を気にせず、手を引いて花火を見せ、遊園地に連れて行き、彼女の求める全ての愛情を与えてくれた。
佐倉寧々はかつて心から願っていた。佐倉桜とは争わない、全てを佐倉桜に譲る、ただ藤原卓也だけあれば良いと。
しかし藤原卓也でさえ、最終的に選んだのは佐倉桜だった。
佐倉寧々は掌を強く握りしめ、鋭い痛みで無理やり冷静さを取り戻した。
彼女は顔を上げ、藤原卓也をじっと見つめた。
「もう一度言うわ。彼女は自分から飛び降りたの。わたしが暇つぶしに彼女の子供を害するって？」
佐倉寧々は唇を軽く歪め、嘲笑の表情を浮かべた。
「彼女に聞いてみたら？なぜ海外で平和に暮らしていたのに、突然戻ってきてわたしの邪魔をするのか？」
この話題に触れると、藤原卓也の表情はさらに険しくなり、目から冷たい光が放たれた。
「よくそんなことが言えるな」
彼は歯を食いしばった。
「お前がお爺様の前でデタラメを言い、お爺様を激怒させ、俺を家系図から除名し、全ての株式を剥奪すると脅したからだ。そうでなければ俺が戻ってくると思うか？」
藤原卓也の美しい顔には嫌悪が満ちていた。
彼は佐倉寧々を理解していた。当時から手段を選ばず佐倉桜を陥れ、今度は藤原のお爺様まで巻き込み、お爺様を使って彼を脅して戻らせた。彼はすでに彼女に藤原家の奥様という地位を与えたのに、それでも足りないとは！
彼の声はますます冷たくなった。
「佐倉寧々、言っておくが、お前が何をしようと、俺は桜を諦めない！当時お前と桜が病院で取り違えられたのは桜のせいじゃない。彼女はただの赤ん坊で何も知らなかった。お前が外で苦労したことは分かる。でも佐倉家に戻ったんだから、なぜ過去のことを水に流せないんだ？なぜいつまでもこだわる？」
佐倉寧々はこの言葉を聞いて、全身の血が凍るのを感じた。
藤原卓也は佐倉家の人々と同じことを言っていた！
「それに、桜はお前のために、ずっと罪悪感を持っていた。お前に申し訳ないと思っていた。そのために彼女は名も分も無く俺のそばにいて、この子を産もうとしていたんだ。お前はまだ何を望む？」
藤原卓也は冷たい目で、一言一言はっきりと言った。
「お前に謝るべきは俺であって彼女じゃない。復讐したいなら俺に向けるべきだ、彼女の罪のない子供にじゃなく！」
佐倉寧々は眉間を押さえ、ふと笑った。
なぜ他人の目には、いつも自分が佐倉桜をいじめているように映るのだろう？
彼女は過去に何度も説明したが、今はもうそんな無駄な言葉を言いたくなかった。
「あなたの言う通りね」
佐倉寧々はさらりと言った。
「わたしはあなたに向けるべきだったわ」
そう言うと、彼女は一歩前に出て、藤原卓也の襟をつかみ、思い切り平手打ちをした！
「パン！」
鮮明な音が病院の廊下に響いた。
藤原卓也は不意を突かれ、顔が横に向いた。
彼は信じられないという表情で、数秒後に我に返り、即座に激怒した。
「お前、狂ったのか？俺に手を出すとは？！」
佐倉寧々は震えて痺れた手首を振りながら、眉を上げた。
「あなたが言ったでしょう、わたしはあなたに向けるべきだって？」
正直言って、気持ちよかった。もう一発お見舞いしたいくらいだ。
藤原卓也の怒りはさらに増し、胸の内で怒りの炎が燃え上がった。何か言おうとした瞬間、携帯が振動した。
藤原のお爺様からの電話だった。
「帰国したそうだな？」
藤原のお爺様は重々しく言った。
「すぐに寧々を連れて戻ってこい。覚えておけ、寧々と一緒にだ。お前一人だけなら、二度と藤原家の門をくぐるな！」
言い終わると、電話は切れた。
藤原卓也は額に青筋を浮かべ、怒りに満ちた視線を佐倉寧々に向け、極めて皮肉な口調で言った。
「これがお前の計画か？まず桜の子供を失わせ、次に俺のお爺様を後ろ盾にする。俺が離婚を申し出ることを恐れてるんだろ！」