




第5章
「パチン——」
響き渡る平手打ちの音が、広々としたオフィスにこだました。
夏目夕子は不意を突かれ、床に倒れ込んだ。
「きゃあ!」
「小林絵里!何をしているんだ!」
坂田和也は怒鳴り声を上げ、小林絵里を押しのけると、緊張した面持ちで夏目夕子を抱き上げた。「夕子、大丈夫か?今すぐ病院に連れて行く!」
小林絵里は押されてよろけ、腰を机の角にぶつけてしまい、痛みで涙がこぼれた。
目を上げると、坂田和也の怒りに燃える赤い目が見えた。
「夕子に何かあったら、絶対に許さない!」
そう言って、長い足を踏み出し、ドアの方へ向かおうとした。
かつての恋人が他の女性のために自分を叱る姿に、小林絵里の目は赤くなり、辛さがこみ上げてきた。
目を夏目夕子に向けると、彼女の風情あるボヘミアンロングドレスの下から義足が見えた。
夏目夕子は小林絵里の名前を聞くと、目に一瞬の暗い光がよぎり、すぐさま作り笑いで、相手を思いやるような微笑みを見せた。
「和也、わたしは大丈夫。降ろして。この方が小林さん、和也の奥様だとは知らなかった」
坂田和也はその言葉に冷笑した。「すぐにそうじゃなくなる」
その言葉に小林絵里の心は再び刺されるような痛みを感じた。
彼女の目には涙が浮かび、唇を噛みしめた。
愛する人が他の女性の前で自分と離婚すると言うのは、確かに辛いことだ。
誰も見ていないところで、坂田和也が離婚を口にしたとき、夏目夕子の顔には喜びと得意の表情が浮かんでいた。
坂田和也は夏目夕子をそっと降ろし、彼女がしっかり立っているのを確認してから、小林絵里を冷たい目で見つめた。
「人を殴るなんて、謝れ」
小林絵里は目を夏目夕子に移した。
内心では不本意だったが、先ほど見た義足を思い出し、目に罪悪感が浮かんだ。「ごめんなさい、あなたのことを知らなくて……」
「もういい!」
坂田和也は眉をひそめて彼女の言葉を遮った。
彼は眉間をつまみ、無意識に小林絵里が他人に頭を下げる姿を見たくなかった。
何より、彼女は夕子の事情を知らなかったのだから。
しかし、夏目夕子は坂田和也が小林絵里を庇うのを敏感に察知した。
彼女は軽く眉をひそめ、大らかな態度を装った。「小林さん、気にしないでください。この足は二年前、和也を助けるために事故に遭ったものです。もう大丈夫です」
小林絵里は無意識に坂田和也を見た。
同じ女性として、夏目夕子の言葉の裏の意味を理解しないわけがない。
坂田和也と夏目夕子の関係は、彼女よりも深いのだ。
あの記憶喪失がなければ、小林絵里には彼らの間に入る機会も資格もなかっただろう。
心に細かい痛みが広がった。
彼女は一年間の真心を捧げただけだが、相手は彼のために足を失ったのだ。
小林絵里は泣きそうな笑顔を無理に作った。
かつて輝いていた瞳は、目に見えて暗くなっていった。
「坂田社長、特に用事がなければ、失礼します」
そう言って、彼女は背を向けようとした。
坂田和也は眉をひそめた。「待て」
小林絵里は機械的に振り返り、坂田和也は夏目夕子に何かを低く話しかけた。夏目夕子は小林絵里を一瞥し、唇を尖らせたが、結局は頷いた。
「わかったわ、和也。仕事を続けて」
最後に一言付け加えた。「夜、待ってるわ」
そう言って、彼女は嬉しそうに社長室を出て行った。
だから、誰も見ていなかった。オフィスを出た瞬間の夏目夕子の冷たい顔を。
……
社長室の中。
小林絵里と坂田和也は向かい合って立っていた。
「坂田社長、まだ何か?」
坂田和也は苛立ちを感じ、ネクタイを引っ張った。「小林絵里、私と夕子は……」
小林絵里は手を上げ、顔から血の気が引いていた。
「わかっています、坂田社長。恩は返さなければなりません。離婚に同意します」