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第3章

葉山萌香は物事をだらだらと引き延ばすのが嫌いだった。秘書室に戻るなり、すぐに業務の引き継ぎを始めようとした。

しかし、振り返ると高橋司が冷気を纏いながら入ってきた。

「高橋社長、他に何かご指示がございますか?」葉山萌香は彼を見つめ、もはや従順で優しい態度は微塵もなかった。

高橋司の表情が一層険しくなった。

「葉山萌香、俺はお前に十分尽くしただろう?何を騒いでいる?」高橋司は一歩一歩、葉山萌香の前まで詰め寄り、圧迫感を放った。

葉山萌香の顔が青ざめた。

本能的に一歩後ずさり、高橋司との距離を取ろうとした。

しかし高橋司は前に出て彼女の手首を掴み、一気に引き寄せた。

「高橋社長、あなたが結婚されて、わたしが退職する。五年前からの約束です」葉山萌香は低い声で言った。

高橋司は冷笑し、嘲りの目を向けた。「そうか。4億円と別荘では足りないというわけか?」

葉山萌香の体が強張った。

先ほどの「金さえ渡せば何も文句はないはずだ」という言葉が蘇り、胃が再び翻弄された。

必死に堪えながら、腕を振り解こうとした。この自分を辱め踏みにじる男から逃れようと。

「高橋司、離して!」

「葉山萌香、駆け引きはもうやめろ。いくら欲しいんだ?はっきり言え」高橋司は冷たい口調で、葉山萌香の細い手首を折れそうなほど強く握りしめた。

葉山萌香は苦々しく笑った。

今でも高橋司は、彼女が去ろうとするのは単に金が足りないからだと思っているのだ。

かつての葉山萌香は、最初は自分を売り渡すことを拒んでいた。

でも結局どうなった?十分な金額を提示されれば、おとなしく彼のベッドに上がり、弄ばれるままになった。

だから今回も、きっと金が足りないだけなのだ。

本当に彼から離れたいわけがない!

葉山萌香は高橋司を見つめた。

この数年間、彼女は常に冷静に自分が代役に過ぎないことを覚えていた。

高橋司の甘い言葉も優しさも、全て別の女性に向けられたもので、彼女に向けられたものではなかった。

もし少しでもその甘さに溺れていたら、今頃は千々に引き裂かれ、生きる気力さえ失っていただろう。幸い、彼女は自分の心を守り、迷うことはなかった。

「高橋司、もう一度言うわ。わたし、辞めます!わかったか?」葉山萌香は怒りの目で彼を見据えた。「わたしの母は不倫相手に追い詰められて死んでしまった。死んでも不倫相手にはならないわ!」

秘書室の中は一瞬、静寂に包まれた。

高橋司は凍りつき、葉山萌香が本当に別れを決意したことを悟った。

「お前、随分と祖母の顔を見てないだろう。一ヶ月の休暇をやる。よく考えてから決めろ」彼は怒りを抑えながら、態度を軟化させた。

祖母......

葉山萌香は一瞬、氷の檻に閉じ込められたような感覚に襲われた。

そして、より一層決意を固めた。

「考える必要はありません。決めました」

「葉山萌香!」

高橋司の怒りが完全に爆発した。

生意気な!これだけ譲歩してやったというのに!

「お前は秋子の代わりでしかない。五年使って、慣れただけだ。本当に俺がお前なしでは生きていけないとでも思ってるのか?」

そう、ただ慣れただけ。他の代役に慣れるのが面倒なだけだった。

「高橋社長、わたしにはそれなりの分別があります。余計な期待など持っておりません」葉山萌香は冷たく答えた。

「よろしい!」

高橋司は頷き、普段の氷のように冷たい表情に戻って、葉山萌香の手首を放した。

「葉山萌香、お前が一番秋子に似ているわけじゃない。ただ、誰よりも従順だっただけだ」高橋司は冷ややかに葉山萌香を見つめた。

「決意が固いなら、そうさせてやる」

「ありがとうございます、高橋社長」葉山萌香は胸の奥の得体の知れない痛みを押し殺しながら、冷静に答えた。

「全ての業務はきちんと引き継ぎ、ご迷惑はおかけしません」

「秘書の仕事は他の者には引き継がなくていい。新しい秘書が来る。お前が去る前に、しっかり教えろ」

「かしこまりました」

高橋司は冷気を纏ったまま、振り返ることもなく立ち去った。

先ほどの一時的な引き留めも、ただ彼女が白石秋子を演じるのが上手すぎて、あまりにも従順だったからに過ぎない。

今や彼女は逆らうようになった。もはや彼にその忍耐はなく、これからも彼女に執着することはないだろう。

葉山萌香は赤く腫れた手首を見つめ、そして彼の去っていく背中を見た。

ようやく解放された。この自分を辱め踏みにじる男から、やっと逃れることができた。

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