




3話
さっぱりと風呂を浴びたアリエルが自室へ向かうと、バックパックに向かって腕を伸ばし、しゃがみ込んでいるアイヴィーの姿が目に飛び込んできた。
「何してるの?」アリエルは訝しげにアイヴィーに尋ねた。
「別に、何も……。おやすみを言いに来たら、あなたの荷物が散らかっているのが見えて……だから、片付けるのを手伝おうとしてただけ」アイヴィーは震え声で答えた。
「へえ……」アリエルは意味ありげに声を伸ばした。
「他に用がないなら、部屋に戻るわ」アイヴィーはそう言うと、部屋を飛び出すようにして出て行った。
アリエルは戻って、散らかった荷物をじっくりと調べた。記憶が正しければ、アイヴィーはバックパックに手を伸ばしていたはず。その方向をたどると、案の定、きらりと光る翡翠のペンダントが目に入った。彼女は瞬時に全てを理解した。
そうだ。あの翡翠のペンダントは、亡くなる前の祖母から譲り受けた、不思議な品だった。祖母は、誰の手にも触れられないよう、大切に保管するようにと忠告してくれていた。そんな大切な言葉を忘れてしまうなんて、自分はあまりに不用心だった。もう少しで盗まれるところだったのだ。アリエルはペンダントを手に取り、興味深げにそれを吟味した。内側には、微かな緋色が見える。ペンダントはまた、心地よい温もりを放っていた。一体なぜ、このペンダントはこれほど重要なのか?いつか、これにまつわる謎を解き明かそうと彼女は心に決めた。彼女はペンダントを金庫に入れ、暗号でロックした。それは彼女にしか解読できない文字列だ。そろそろ寝ようかと思ったその時、携帯が鳴った。画面に表示された発信者の名前を見て、彼女は疲れたようにこめかみを揉んだ。頭痛がしてくるのを感じる。通話ボタンを押すと、
スカイ:「ボス!元気っすか?帰国したって聞きましたよ。どうです?みんな、ちゃんとやってくれてます?ボス、会いたかったですよう、ううっ……」
アリエル:「他に用がないなら、切るわよ」
スカイ:「ボス、ちょ、待っ――」
聞こえてくるのは、無機質なビープ音だけだった。
「ちくしょう!ボスってば意地悪だ。言いたいことも言わせてくれないなんて。はあ……」スカイは愚痴をこぼした。
「機嫌が良くないみたいだったな。大丈夫、落ち着いたら連絡をくれるさ」リックがスカイをなだめた。
「そうだな。ボスはきっとそうする」他の仲間たちも一斉に頷いた。アリエルはため息をついた。まともに扱われているかって? とんでもない。まるで空気扱いだ。この状況は、あの夢で見た光景とそっくりだった。そういえば、祖母が亡くなってから二週間後、彼女はとても奇妙で、それでいて鮮明な夢を見たのだ。
夢の中の自分は、会う家族の誰も彼もから酷い仕打ちを受けていた。学校では、アイビーが『あの子は体を売っている』だの『何人ものパトロンがいる』だのといった悪質な噂を流し、アリエルの評判をズタズタにした。それだけでなく、チンピラを雇ってアリエルを暴行させ、その一部始終を録画すると、インターネット上に拡散までしたのだ。家で兄たちの機嫌を取ろうとすれば、決まって『猿真似』だの『偽善者』だのとなじられた。両親は会社からの帰り道、交通事故で亡くなった。その死後、即座に内部での権力争いが勃発。アイビーはどこからか、四人の兄たちの株式を手中に収めていた。クリフとは敵対していたため、彼の株だけは手に入れられずにいたが。芸能界に身を置いていた兄のアマンドは、レイプ・スキャンダルに巻き込まれ、業界から永久追放される。鬱病を患った彼は、やがて自ら命を絶った。四男のアーロンはカーレースの大会中に事故に遭い、即死。高名な弁護士だった次男のクレイグは、贈収賄と訴追における差別で告発され、弁護士資格を剝奪されたうえ、終身刑を言い渡された。クリフは秘書に裏切られ、わずか二日で所有する全事業を失う羽目になった。一方のアリエルは、生き残った家族を食べさせるために身を粉にして働く中、アイビーは贅沢の限りを尽くし、裕福な実業家と結婚した。
夢はあまりに真実味を帯びていた。というのも、夢で見た通りの出来事が、現実でも起こり始めていたからだ。自分と、そして家族を守るために、何かしなければ。
翌日、アリエルは目を覚まし、新しい学校へ向かう準備をした。アイビーも通う学校である。アンダーソン高校は、そこに通う者すべてが貴族の家柄という、名門校として知られていた。そこで学ぶことが許されるもう一つの層は、優秀な成績を収めて奨学金を得た、裕福ではない生徒たちだ。二人はホヴスタッド家の車に乗り込み、学校へと向かった。誰も口を開かなかったおかげで、学校までの車内は快適だった。アリエルは秘書に案内されて校長室へ、アイビーは自分の教室へと、それぞれ真っ直ぐに向かった。校長は不在で、アリエルは待つように言われた。
そこに腰掛けて待っていると、校長が遅れるとのことで、その指示を受けた教頭が対応に出てきた。教頭は、アリエルをあからさまに嫌悪のこもった目で見やった。校長直々の連絡だったことから、アリエルの両親が裏で手を回したに違いないと、彼は確信していた。彼女の以前の成績は確認済みだったが、お世辞にも優秀とは言えなかったのだ。教頭は彼女が配属される学年の担任たちを呼びつけると、こう問いかけた。
「この転校生は、誰が受け持つ?」
「失礼します、教頭。授業に遅れますので」。Aクラスの担任はそう言って、まるで何かに追われるように走り去っていった。
「うちでは無理です。クラスの平均点を下げられては困りますので。申し訳ありませんが……」。Bクラスの担任が、申し訳なさそうに、しかしきっぱりと断った。
Cクラスの担任はまだ授業中。となると残るはDクラスのロイ先生だけだったが、彼は快くアリエルをクラスに引き受けてくれた。アリエルが編入した学年には、四つのクラスが存在した。Aクラスはアイビーが在籍するような成績優秀者を集めたクラス。Bクラスは成績が『優良』とされる者たちのクラス。Cクラスは平均的、そしてDクラスは最も成績が悪く、素行不良の生徒が多いクラスだ。
「やあ、君が転校生かな。僕はロイだ。君の名前は?」と、ロイ先生は気さくに話しかけてきた。
「はい、アリエル・ホヴスタッドです」とアリエルは応えた。
「よし、じゃあついておいで。うちの生徒たちに君を紹介するよ」とロイ先生は言った。
二人は連れ立ってDクラスへと向かった。
「やべぇ! どこから来たんだ、この天使は!!」