おはよう、大家さん

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第1章 受け継いだボロアパート

春の日、桜が雪のように舞い散る中、私は黒い服に身を包み、弁護士事務所の冷たい椅子に腰掛けていた。外の空模様と同じく、心は重く沈んでいる。祖母の葬儀が終わったばかりで、まだ彼女を失った悲しみから完全に立ち直れてはいなかった。

「宮崎千尋さん、遺言に基づき、さくら荘の所有権はあなたに譲渡されます」

弁護士先生が眼鏡を押し上げ、分厚い書類を私の前に置いた。びっしりと並んだ法律用語を呆然と眺める。まさか祖母が、まだ高校生の孫娘である私に不動産を残すなんて、思いもしなかった。

「さくら荘?」

私は喃語のように呟く。脳裏に、幼い頃に祖母と過ごした楽しい時間が蘇った。

「はい。東京近郊に建つ古いアパートで、三階建ての全八室です。ですが……」弁護士先生は言葉を切り、「築四十年が経過しており、いくらか修繕が必要かと」

隣に座っていた父が眉をひそめる。

「千尋、あの建物は古すぎる。修繕費は相当な額になるぞ。うちの今の経済状況は、お前も分かっているだろう……」

母が私の手の甲をそっと撫でた。

「いっそ売却してしまいましょう。あなたはまだ小さいんだから、そんな重荷を背負う必要はないわ」

書類に書かれた「さくら荘」の文字を見つめる。そこは祖母が祖父と出会った場所で、二人が愛を込めて共に築き上げた世界なのだと、優しく教えてくれたことを思い出した。あの午後の日差し、祖母の手作りのあんこ餅、小さな庭で一緒に桜を眺めた美しい思い出……。

「さくら荘が今、どんな様子なのか見に行きたい」

私は顔を上げた。声は羽のように軽かったけれど、その態度は固かった。

翌日の夕暮れ時、夕日が西に沈む頃、私は初めて大家としてさくら荘を訪れた。目の前の建物を目にした瞬間、心臓がずしりと沈むのを感じた。

記憶の中の温かく美しいさくら荘は、見る影もなく古びていた——外壁のペンキは広範囲にわたって剝がれ落ち、まだら模様のコンクリートが剥き出しになっている。屋根の瓦は何枚も割れ、階段の手すりはぐらぐらと揺れて、今にも落ちてきそうだ。これが、私の子供時代の記憶にあった夢のような場所だというのか?

「千尋ちゃん!」

澄んだ声が階上から聞こえ、顔を上げると、ポニーテールの女の子が顔を覗かせていた。私よりいくつか年上に見え、温かい笑みを浮かべている。

「私、二階に住んでる大学生の田中美咲です。新しい大家さんだって聞いて」彼女は足早に階段を駆け下りてきた。「よかった、さくら荘が取り壊されちゃうんじゃないかって、みんな心配してたんだ」

「新しい大家のお姉ちゃん!」

一階から子供一人が飛び出してきた。十歳くらいの男の子で、瞳がキラキラしている。

「俺たちのこと、追い出したりしない?」

美咲先輩が男の子の頭を撫でる。

「この子は一階の山田太郎くん。私たちが、ここの最後の住人なの」

「最後の?」私は少し驚いた。

美咲先輩は苦笑して頷く。

「千尋ちゃん、ここは本当に大掛かりな修理が必要で、屋根は雨が降るたびに漏るし、多くの住人さんが引っ越してしまったの。ほら……」

美咲先輩に案内されて建物全体を見て回ったが、一歩進むごとに私の心は沈んでいった。傷んだ床、カビの生えた壁、時折水滴が落ちてくる天井……。ここは家などではなく、まるで廃墟だ。

「もう請負業者さんには連絡してあって、明日見積もりに来てくれることになってるの」美咲先輩は私の落ち込んだ表情を見て慰めてくれた。「そんなに心配しないで。案外、大したことないかもしれないし」

しかし翌日、請負業者の言葉が私の幻想を打ち砕いた。

「この建物を直すなら最低でも五百万円はかかるよ。本当にその予算、あるのかい?」

中年の請負業者は遠慮なく言い放ち、私の顔は瞬時に青ざめた。五百万円……高校生の私に、そんな大金があるわけがない。両親の貯金だって数十万円で、まったく足りない。

学校に戻っても、私はまったく身が入らなかった。桜が満開のキャンパスでは、クラスメイトたちが間近に迫ったゴールデンウィークの予定で盛り上がっているというのに、私はさくら荘のことで頭がいっぱいだった。

「宮崎さん!」

張りのある声に我に返ると、佐藤健太郎がこちらへ歩いてくるところだった。彼はクラスの御曹司で、実家は会社を経営しており、いつもスポーツカーで通学してくるので女子生徒に人気がある。

「アパートを相続したんだって?」佐藤健太郎は私の前に立つと、どこか興奮したような口調で言った。「面倒なことは俺が何とかしてやるよ」

私は訝しげに彼を見る。

「どういう意味?」

佐藤健太郎は得意げに笑い、ポケットから車のキーを取り出して回してみせた。

「修繕費なんて、俺にとっちゃ大したことない。全部やってやるよ。その代わり……」彼は一拍置いて、「俺の彼女になれ」

周りのクラスメイトたちが集まってきて、ひそひそと囁き合っている。佐藤健太郎の表情を注意深く観察すると、その瞳には感情よりも打算の色が濃く浮かんでいた。

「私のことが好きなの?それとも、私の不動産が好きなの?」私はまっすぐに彼の目を見て訊ねた。

「どっちも同じだろ。とにかく俺には金があって、お前には家がある。ちょうどいい組み合わせじゃないか」

健太郎はまるで商談でもしているかのように、当たり前だと言った。

その一言で、彼の本心がはっきりと分かった。彼が価値を見出しているのは私という人間ではなく、さくら荘の立地と投資価値なのだ。もし付き合ったとしても、私はさくら荘の管理権を失い、そこは彼の商業投資の対象となり、祖母が残してくれた温かい我が家ではなくなってしまうだろう。

「ありがとう。でも、私は自分の力で守りたいから」

私は首を横に振り、背を向けてその場を離れた。

背後から健太郎の不満げな呟きが聞こえたが、振り返らなかった。

その夜、私は自室の机に向かい、スタンドライトが請求書の山と電卓を照らしていた。私の貯金はアルバイトで貯めた二十万円足らずで、今月の小遣いを足したところで、修繕費には到底及ばない。

祖母が残してくれた古い写真アルバムを開き、一枚一枚、色褪せた光景を目で追った。

ふと、祖母がかつて私に話してくれた言葉を思い出した。

「千尋や、家っていうのは人に温もりを与えるためのものなんだよ。ただ家賃を取るための道具じゃない。愛さえあれば、どんなにボロい場所だって、一番素敵な我が家になるんだからね」

当時はまだ幼くて、その言葉の意味がよく分からなかった。だが今、さくら荘の窮地に立たされて、私はふと閃いた。

家を修繕するお金がないのなら、住人に労働で家賃を相殺してもらえばいいんじゃないか?

私は興奮してノートを取り出し、この前代未聞の家賃制度を設計し始めた。基本家賃は五万円。しかし、日常の清掃やメンテナンス作業をしてくれれば一万円を減免。家の修繕に参加すれば、さらに一万円を減免。その他の特別なサービスは別途相談で割引……。

こうして計算すると、勤勉な住人なら家賃は三万円、あるいはそれ以下で済むかもしれない。そしてさくら荘も、みんなの協力で少しずつ活気を取り戻していける。

美咲先輩の言葉を思い出す——多くの若者が高額な家賃に悩んでいる。特に卒業したての大学生やフリーランサーは。もし私の制度が、労働を厭わない人たちを引きつけられるなら、まさにウィンウィンではないか?

私はパソコンを開き、入居者募集のポスターを作り始めた。目立つ場所に「ただの賃貸じゃない、温かい家を共に創る場所」と書き記す。労働による家賃控除の制度を詳しく説明し、ここで必要なのは単なる店子ではなく、共に努力してくれる仲間なのだと強調した。

この考えは甘すぎるように聞こえるかもしれないが、祖母の言葉は正しいと信じている。家は金で築かれるのではなく、皆で力を合わせて創り上げるものだ。さくら荘は見た目はボロいかもしれないけれど、心を込めて大切にしてくれる人がいさえすれば、きっと再び輝きを取り戻せるはずだ。

翌朝早く、私は広告を近所の駅や大学のキャンパスに貼り出した。午後、家に帰ったところで携帯が鳴った。

「もしもし、さくら荘の大家さんでしょうか?労働での家賃控除について、具体的な詳細をお伺いしたいのですが……」

電話の向こうから、若い男性の声が聞こえてきた。とても真面目そうな響きだ。心臓が飛び出しそうなほど緊張する。初めての問い合わせだ!

「はい、明日の午後、内見にお越しいただくことは可能でしょうか?」私は声を落ち着かせようと努めた。

「問題ありません。明日の三時にお伺いします」

電話を切った後、私は興奮して拳を握りしめた。たった一本の問い合わせ電話だが、これは私の考えが通用するかもしれないという証だ。本当に私と一緒にさくら荘を再建し、祖母の理想とした温かい我が家へと蘇らせてくれる人が現れるかもしれない。

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